HMNやポタリング同好会 川口鯨食堂で竜田揚げを喰らう

本日(6/8)は第2土曜日なので午後からHMNや定期総会が実施される。定期総会に合わせ休日を組んでいる自転車1部MKT部長、TKH副部長、私の3人でポタリングに出発。本日のお目当ては先週偵察済みの川口鯨食堂で鯨肉の定食を食べ、HMNやメンバーに鯨ベーコンのお土産を持ち帰ることだ。一般道路恐怖症のMKT部長のためほとんど車の通らない東京外観道路下の側道を三郷方面から和光方面に向かう。約10Kmで芝川にぶつかるので、芝川サイクリングロードにINし約15Kmで到着

イメージ 1
イメージ 2









芝川CRの途中で休憩するMKT部長とTKH副部長。ポタリング同好会のHMN会長は法事で、YMS氏は仕事のトラブル処理で欠席。

イメージ 3
イメージ 4
イメージ 5







私の出身は東方地方の太平洋側で大学卒業までそこで暮らしていた。当時、街の肉屋に牛肉は売っておらず肉と言えば豚か鶏だった。さらに両親が魚好きだったので肉が食卓にのることはあまり無かったと思う。記憶ににある肉料理といえばカレーで、カレーの日は肉屋に豚こま切れを買いにいかされたものだ。そこのこま切れは一辺が3cm程のゴロッとしたブロック状で肉3割、脂身7割の代物、かなりの確率で脂身には紫色のスタンプがそのまま残っていた。街に肉屋は1店しかなく他の肉を知らないので、カレーの肉を好んで食べた記憶はあまりない。さらに豚の生姜焼きとか鶏のから揚げとか牛肉以外のポピュラーな料理も食べた憶えがない、鶏肉といえば親子丼くらい。そんな訳で小学生の頃から刺身や焼魚/煮魚メインで育ったので、朝食からホヤや生牡蠣の酢の物をあたりまえに喰っていた。脂の乗った太いカド(ニシン)の切り身の塩焼きは今思い出しても涎がでるほど飯に合い旨かった。親父が釣り好きだったのでその辺の小川で釣ったフナは塩焼きでしょっちゅう食卓にのぼったものだ。あとザリガニの塩茹でもオヤツがわりによく喰ったな~。なので焼肉といえば鯨肉になんの疑いも持たない幸せな小中学校時代を送ったのである。鯨の焼肉は豚の生姜焼きをままんま鯨肉に変えただけだが、魚とちがう哺乳類の風味があり、おかずランキング上位を占めていた。また鯨の刺身は凍らせた状態で食卓にのぼり(今思えば霜降り状の肉片で超高級品の尾の身かもしれない)溶ける前に素早く食べるものであった。ちなみに牛肉を食べるようになったのは大学時代の牛丼とハンバーガーからである。牛肉自由化(1991年)の恩恵に浴していない首都圏以外の1960年前半生まれは皆んなそんなもんだと思う。
かように私の人生前半は鯨肉と共にあったと言っても過言ではない。そんな私の舌を満足させることができるのだろうか?竜田揚げは揚げたてアツアツで肉汁も充分で旨い、だけど所謂鯨の風味(個人的には血の味だと思っている)は弱めで物足りない。先週食した鯨ステーキのほうが血の味が濃く、鯨肉を喰っている実感があった。でもこれは冷凍技術や物流の効率化による運送時間の短縮化が実現し、より新鮮な状態を食べられるようになったため昔に較べ独特な風味が弱くなったものと思われる。なので物足りないこの味が鯨本来の味なのだろう。刺身も同様で鯨の風味はあまり感じられず、生姜醤油でさっぱり食べられる。この刺身なら日本人であれば誰でも問題なくいけるだろう。実際、客層には子連れのファミリーもそれなりに多く鯨肉を小学生の女の子が美味しそうに食べている。普通にファミレスで食べれるようになれば高タンパク低脂肪で人気のメニューになりそうだ。

イメージ 6
イメージ 7
イメージ 8







鯨ベーコン(400円)を2パックお土産に持ち帰りHMNや定期総会が15:00から開宴。本日はカニ好きTKB氏が所属しているサイクリング倶楽部から5名の中高年が合流しにぎやかな飲み会となった。ロードからママチャリまでの混合編成らしいが、HMNや自転車チームはまだ未経験の輪行なども行うアクティブな倶楽部。楽しかったです。今度は一緒にサイクリング&飲み会をしましょう。

イメージ 9
イメージ 10
イメージ 11







酔いがまわり久しぶりの往復50Kmのサイクリングの疲れがでたようでMKT部長はタバコを吸いに外にでたまま爆睡モードに突入(楽しそう 心配そうに覗き込むTKH副部長)

イメージ 12















おしまい