私の尊敬する 開口健先生

先週、富士山アウトドア仲間のI隊長らと飲み会を行った際、藤沢在住のN氏から1枚のBlu-rayディスクをもらいました。2012年12月30日にBSで放送された「漂えど沈まず~小説家・開高健の残した言葉~」の録画されたディスク。私としたことがこの番組が放送される事を知らなかったのですが、N氏は私が開口健先生を尊敬しているのを知っていたので、録画してくれたようです。N氏ありがとう!

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しかし、私が開口健先生を知り師と仰ぐようになったのは没後数年過ぎてからである。1990年代初頭に千葉県銚子市の夫婦が鼻堤防に会社の先輩と投げ釣りに行き、小さなイシモチを引っ掛けて遊んでいたら、ライフジャケットを着たルアーマンがイナダを釣り上げた。すると俄かに海面がザワザワしだした。小魚が海面を逃げ惑う直下を50cm前後の魚がグルグル泳ぎ回っているのがはっきり見える。数人のルアーマンがその沸騰した海面にすかさずルアーをキャストしロッドを満月のようにしならせ、次々にイナダやカンパチを釣り上げる。私達はイソメをぶら下げたちょい投げ仕掛けしか持っておらず、爆釣を指をくわえて見てるだけだった。それから雑誌やネット(1990年代初頭、自宅にPCは無く会社の個人PCもネットに接続されておらずネット専用の共有端末があった)でルアー釣りの勉強をし知識を蓄え、小遣いの半分を釣り道具に注ぎ込むほどのめり込んだ。その過程で開口健先生の「オーパオーパ!!」を読み、師と仰ぐに至る。エッセイやノンフィクションをとおして感じられる豪放磊落にしてデリケートな感性、親分肌にして部下(仲間)想いな優しさとユーモア、釣りにかける情熱が半端なく魅了された。

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その頃は銚子に3ヶ月に1度通い、大潮周りの週末は毎週、浦安ディズニーランド横の江戸川河口に出没しひたすらルアーを投げる日々を送った。開口先生も「オーパ、オーパ!!」で釣った魚の調理法と味について考察しているので私もやります。主な釣果と調理法・感想は以下のとおり。

【銚子で釣った魚】
●イナダ/カンパチ
釣り上げたらすかさずエラにナイフを突き刺し、絶命させ(〆る)海水を満たしたバケツに頭からつっこみ血を抜くことが重要。新鮮なのでやはり刺身が旨い。唐揚げ粉をまぶしてカラっと揚げた竜田揚げや、ほとんどが身肉のアラ汁もイケル。
●スズキ(60cm位のシーバス)
〆るのはイナダと同様。そぎ切りにした刺身を氷水で振り洗いすると、身がキュッと硬直する。そのコリコリした身肉を酢味噌や梅肉で味わうのが夏の醍醐味。よく冷やした日本酒がベストマッチ。
●サバ
〆たら血抜きし、すかさずクーラーボックスで保存。三枚におろし皮は剥かず(薄皮は剥く)そのまま5ミリくらいの厚さで刺身状に切る。土鍋に昆布出汁を沸騰させ、白菜やネギ、エノキ、豆腐を煮ながらサバ刺身をしゃぶしゃぶし半生のところをポン酢醤油で食す。これがバカ旨!
●ヒラメ
波が高く外海は危険なため、堤防の内側の壁に沿ってラパラカウントダウンマグナム11cm(オレンジ)をゆっくりリトリーブ。これで50cm級を2枚ゲット!陸っぱりでヒラメが釣れたのは後にも先にもこの1回だけ。地元の魚屋で刺身にしてもらい堪能しました。(今は5枚おろしもできるようになった)

【浦安で釣った魚】
●フッコ(40cmくらいのシーバス)
浦安ではフッコしか釣れてない。ウロコを引き三枚におろし片身を半分に切り塩胡椒、小麦粉を念入りに付けたら余分な粉を払い落とす(ここ重要)。フライパンにバターを焦げない程度に熱し、切り身をこんがりソテーする。焼きあがりはバターが多少焦げるくらいが香ばしくてOK、香り付けの醤油を少量たらしレモンを絞って食すべし。あとシンプルに塩焼きも旨いです。

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その後、一時の熱狂も醒め今は半年に1回ほど館山に釣行する程度ですが、退職後を見据えた場合、釣りは外せないアクティビティーなので継続して続けるつもり。
番組は開口先生のいい笑顔で終わってますが、開口先生は1989年に食道がんから肺炎を併発し他界。一人娘は5年後の1994年に東海道線茅ヶ崎の踏切で鉄道自殺。2000年には配偶者(奥さん)が茅ヶ崎の自宅で倒れているのが発見され、検死の結果、病死で死後数日であったらしい。

私は今、あるプロジュクトで藤沢に毎日片道2時間50分かけて通勤しているので、藤沢在住のN氏とそのうち茅ヶ崎にある「開口健記念館」を訪れる予定。

おしまい